つばさ16・きせき16サイト

交通事故によって16歳の若さで亡くなった
小林秀輔を偲んで

~ 裁判が終わって ~

民事裁判を起こしてから、約2年の月日が流れました。

諏訪地方裁判所に息子の損害賠償の訴訟を起こし、

東京高裁、最高裁と息子の名誉と無念を晴らすために、

戦ってきました。

訴訟でも最も訴えたかったことは、過失責任でした。

私は、事故において息子の過失はなかったと信じています。

したがって、過失割合は、

加害者である(有)フレイシアの中沢社長に、

100%過失があると思っています。

いつも通行し、見通しの悪い危険な交差点であることを認識していながら、

徐行もせず、40kmのスピードで、

アドバイスミラーで自転車で進行して来る息子の姿を確認しながら、

クラクションだけで、スピードを緩めずに、交差点に進入してきた加害者に、

事故の全ての責任があることは明らかです。

息子と加害者の過失責任は0対10であると固く信じていましたし、

そのような結果が出ることを確信していました。

しかし、残念ながら地裁、高裁ともに

加害者の過失が100%であるという判決は出してくれず、

最後の最高裁も、いく分かの過失は息子にもあるという判決になってしまいました。

全くの不当判決であると、声高々に叫びたい気持ちで一杯です。

息子の名誉を守ることが出来なかったことが、残念で仕方ありません。

しかし、今の日本の司法制度では、被害者の声を直接聞いてもらえる場はなく、

最高裁はただ書面だけの事務的な検証だけで判決を出し、

判決の理由すら聞かせてもらえないのが実態で、

被害者はただ泣き寝入りをするだけです。

こんなことが許されるのかと思います。

裁判所を恨みますし、こんな結論しか出せなかった自分の無力さに大きく落胆しています。

本当に息子に顔向けが出来ない結果に終わってしまいました。

ただただ無念です。

しかし、私は事故の責任は100%加害者にあり、

息子に過失はないと固く信じていますし、

一生この気持ちは決して変わりません。

3年半に及ぶ刑事、民事の裁判は全て終わりました。

裁判で息子の名誉を守ることを最優先に戦ってきた私にとって、

これから何を目標に生きていけばいいか、

今は脱力感で一杯です。

息子に、心からお詫びをしなければならない日々が続いています。

3回目のお盆がここで終わりました。


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