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交通事故によって16歳の若さで亡くなった
小林秀輔を偲んで

~ 10年の月日が流れて ~

2008年12月28日 あの忌まわしい事故から10年の月日が経ちます。

長い10年間でした。

そして、秀輔を亡くしてから、父、妹、義父、義母・・・

私の大切な人達が秀輔の後を追うように逝ってしまいました。

とても寂しい家族になってしまいました。

10年前はみんな揃ってクリスマスを過ごす事が当たり前に思っていました。

今、娘は娘のいい所も、悪い所も全て受け入れてくれる伴侶と伴にあります。

私にはもう家族揃って、あの賑やかで楽しいクリスマスは遠い夢でしかありません。

プレゼントをねだられたり、買ったりする事が幸せだったなあ・・・と、切なく思います。

秀輔の友人にも、社会に出て、家庭を持ち子供もいる人がちらほらといるようです。

私はこの当たり前の幸せを、あの10年前の突然の事故で、

還付なきままに叩き壊されてしまいましたが、

秀輔の友人や、娘には本当の幸せを感じてしいと切に望みます。

あれから10年、今年も年末に秀輔の友がたくさん我が家に集まってくれます。

29日は中学の野球部のメンバー、30日は高校の端艇部のメンバーが、

いまだに秀輔を仲間として認め、会いに来てくれるのです。

おかげで私は、みんなで話をしている中に秀輔もいるんだなと感じられ、

寂しいながらも、嬉しいひと時が過ごせます。

今年も秀輔の友に感謝します。ありがとう。


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  1. Re:~ 10年の月日が流れて ~

    秀輔さんのお父様へ

    突然、コメントさせていただくことご容赦ください。

    私は、2008年に清陵高校に入学した者です。
    秀輔さんと同じ学年の生徒でした。
    秀輔さんとは、クラス、講座も違い、一度もお話しすることもなかったので、
    事故に遭われるまではお名前も分からなかったのですが、たまに廊下等ですれ違うこともあり、お友達と楽しそうに笑っていた姿を思い出します。
    出棺される日、清陵にお別れにいらっしゃると連絡網があったので、友人と連れ立って、お見送りさせていただきました。秀輔さんの気持ち、ご家族のお気持ちを想うと、涙が止まりませんでした。今でもあの日を忘れることはありません。
    大学に進学し、とある日、秀輔さんのことを強く思い出したことがありました。1年か2年生の時だと記憶しています。
    居ても立っても居られない気持ち、
    秀輔さんのことを知りたいという思いが強まり、情報はないかとインターネットで検索したところ、お父様が書いてらっしゃるこちらのブログに辿り着きました。
    秀輔さんのこと、事故の経過、裁判の記録、お父様の思い、泣きながら読ませて頂きました。
    また、追悼集があるとのことだったので、諏訪地域中の図書館を色々回って、地元の図書館にあるのを見つけました。
    追悼集の写真を見て、秀輔さんのお顔をはっきりと思い出しました。とても素敵な笑顔です。
    ご家族やお友達の想いも知って、秀輔さんがみんなから愛されている人、秀輔さんを取り巻く皆様が計り知れない悲しみを抱えてきたこと、伝わってきました。
    当時、事故に遭われた現場にお花をお持ちしようと考えたのですが、結局、行動できずじまいでした。
    その後も、ふと息子さんを思い出しては、お父様のブログを拝見しておりました。
    そして、今年の2月、知人と清陵の話しをしていた際、数年ぶりに、秀輔さんのことを強く、はっきりと思い出しました。
    秀輔さんは、何か伝えたいことがあるのではないかと感じて、再びお父様のブログを読み返させていただきました。
    現在は、長野市に在住ですので、近所に追悼集が寄贈されてるところはないかと調べて、長野県立図書館に向かいました。
    写真の1枚1枚から、息子さんの爽やかな、素敵な笑顔を、思い出すことができました。
    端艇部で、キツイ練習にも一生懸命だったこと、お友だちに慕われていたこと。何事にも、真面目に取り組む秀輔さんが目に浮かぶようでした。私は文化部でしたが、全国大会を目指し、部活に力を注いでいたので、秀輔さんの気持ちは、とてもよく分かります。
    そして、今回、私が感じたのは、秀輔さんは、お父様はじめご家族にありがとうという感謝の気持ちを伝えたいのだろうということです。
    大切に育てててくれたこと、2度と同じことが起こらないように信号機の設置であったり、法廷で戦ってくれたことなど、誠心誠意の全力のご家族の想いは、息子さんにしっかり届いていると思います。
    そして、私のように周りにいた人間に、
    自分のこと思い出して欲しいという想いも持っているのだろうなと感じています。
    日々、時は流れてゆきますが、忘れるわけがありません。
    秀輔さんは、私たちと一緒に成長して、大人になっているのです。いつまでも私たちの大切な仲間です。
    直接お話ししたことはありませんが、同じ時代に同じ高校に通った者として、そのように思っております。
    2月に秀輔さんを思い出してから、お花を手向けさせていただきたい、会いにいってお話しがしたい、ずっと願い続けてきました。
    また、お父様へもメッセージをお伝えしたい、そちらも兼ねてから思い続けてきました。
    私には、秀輔さんと共通の友人がいないため、ご連絡する手段もなく、こちらにコメントさせていただきました。
    ご自宅も分からないため、本日6月3日に、事故に遭われた場所に、ささやかではありますがお花を手向けさせていただきました。時も経ってしまったので、もし、ご迷惑だったら、とも悩んだのですが、今の私にできることをさせていただきました。
    秀輔さんも、私のことを覚えていてくれるなら嬉しい、そのような気持ちです。
    そして、これからも、私は秀輔さんのことを思い出します。

    まとまりのない長文で、失礼な言葉もあろうかと思いますが、どうぞお許しください。

    お父様も、くれぐれもお身体をご自愛なさってください。

    <2023年6月3日 清陵の同窓生様コメント>

    返信

    投稿者名 webmaster

  2. Re:~ 10年の月日が流れて ~

    秀輔の友人の方へ
    ホームページにコメントを頂き、誠にありがとうございます。今でも秀輔のことを思い出して頂ける方がいると思うと、嬉しく涙が止まりません。現場にもお花を手向けて頂き、ただただ感謝の言葉しかありません。ありがとうございます。
    秀輔も生きていれば、30歳になり仕事も頑張り、結婚もし、子供もいる年かと思うと、残念でなりません。今でも秀輔がどこかにいて、不意に戻ってきて顔を見せてくれるのではないかと思っています。
    コメントを頂き、大変ありがたく思っています。もしできれば、ご連絡先をお教えいただき、追悼集をお送りしたいと思っています。またお会いをすることができれば、お礼方々秀輔のお話をさせて頂ければと思っております。何卒ご返信を頂ければ幸いです。
    hidetoshi-kobayashi@ings-s.co.jp (090-3343-5949)
    何卒よろしくお願いいたします。

    <2023年6月15日 小林秀年コメント>

    返信

    投稿者名 webmaster