秀ちゃんのこと

 秀ちゃんの、二階の部屋の窓に明かりがつかなくなって三ケ月がたちました。
 おばあちゃんは、いつも夜廊下のカーテンを締めるとき、秀ちゃんは、もう学校から帰っただろうかと確かめて、明りがついているとホットしていました。
 秀ちゃんが居なくなって一回だけ、新道を歩いていたら、パーッと明るくなり、秀ちゃんの窓に明かりがつきました。ハッとしてみると夕陽が赤々とさしていたのでした。
 毎日毎日秀ちゃんは今ここに帰って来ると、信じたい気持で一杯です。
 小さいころから、おばあちゃんの家によく遊びに来ましたね。
 お姉ちゃんの加奈ちゃんと従兄弟の昇吾君、昂志君と押入れの中の布団を全部出して、すべり台にして遊びましたね。あきずに毎日毎日来てやっていました。
 楽しかった家族旅行、二家族十人でいろいろな所に旅行しましたね。黒部ダム、草津温泉、昇仙峡、ぶどうの丘、一つ一つに思い出があり、アルバムを開いてなつかしく又悲しく思い出しています。
 夕食のあと、おじいちゃんと昂志君と将棋をさして負けまいと必死になっていたこと、おじいちゃんの吹くハーモニカを不思議がって見て自分でも吹いてためしていたこと。
 秀ちゃんの家にはない、おじいちゃんちの遊びがあったんですね。
 小学生の時は、空手に夢中になって、お姉ちゃんと二人で頑張っていましたね。
 お母さんが西宮に行って留守のときは、練習は絶対に休まないとゆうのでおばあちゃんがタクシーで送り迎えをしました。
 空手の試合も見にいきましたね。
 少年二段になりました。
 何事もやり出したことは決して休まない、中途半端にしないところが、秀ちゃんのすごいところでした。
 ピアノも上手でした。発表会でモーツアルトの服装で一寸はずかしそうな風でピアノに向かいトルコ行進曲を演奏しました。とてもすてきでした。
 秋葉山の少年相撲にも、毎年出場して横綱になりましたね。
 中学生になってからは少年野球に熱中し部活と第三野球で活躍し、大社杯少年野球大会では平成十九年五月十三日、下諏訪中学校が優勝しました。どんなにか嬉しかったでしょうか。真黒になって練習していました。
 おばあちゃんといとこたちとおじいちゃんと一緒に応援にいったね。秀ちゃんのお父さん、お母さんは横断幕を作って大変な応援でした。朝早くから暗くなる迄、よく体力が続くものだと心配したこともありました。
 努力の甲斐あってとうとう優勝を勝ちとりました。
 念願の清陵高校に合格、桜がきれいに咲きました。ボート部に入り部活の練習はとっても楽しいと話してくれましたね。
 自転車で朝早く出掛けて艇庫によって練習をして学校に行き授業が終ったら、又艇庫に寄って練習して暗くなって帰宅。
 自転車で上諏訪迄、往復してよく頑張っていたね、雨の日も雪の日も。
 ときどき秀ちゃんが自転車をこいで出掛ける後姿をみていました。
 毎日精一杯の勉強と部活の練習をしていたのに、日曜日にはおばあちゃんの家のお風呂の掃除に来てくれてとっても嬉しかったよ。
 「今日」はと玄関に入ってきて、だまって立っているので、おばあちゃんちのお風呂の掃除にきてくれたのと聞くと「うん」と答えてさっさっとお風呂の掃除をして帰っていきました。
 大雪の日、松の木に積った雪をおろしに来てくれて、本当に助かりました。
 おじいちゃんが雪の重みで松の枝が折れるのを心配しているので秀ちゃんが来てくれるのを待っていました。
 終ったよと云ってなが長靴を履き長い竹箒をかついで帰っていくとき、ありがとうねと、おだちんをあげるとニコッと笑ってありがとうと云って本当に嬉しそうにしている顔が目にやきついてはなれません。
 たくましくなった秀ちゃん。
 今年の大雪の降った日は秀ちゃんが来てくれないかなーとつぶやきながら、おばあちゃんが力のない手で雪をはらいました。
 高校生になってからは、秀ちゃんも忙しくてなかなか会えなかったね。
 お母さんが留守のときはお父さんとお姉ちゃんと秀ちゃんと三人で夕飯を食べに来ましたね。五人で賑やかにおしゃべりをしましたね。
 秀ちゃんが一人で来たときは、おじいちゃんと野球をみながら話しがはずんでいたね。
 秀ちゃんはもくもくと沢山食べてしばらく野球をみて急にぼく帰るよと云って、ありがとうございました。と礼儀正しく頭をさげ挨拶して帰っていきました。
 秀ちゃんの礼儀正しく大きな声の挨拶はいつも感心させられていました。
 本当に秀ちゃんは良い子でした。いい子だったから早くつれていかれてしまったのでしょうか。
 年末の二年詣りは昂志君や友達と一緒に除夜の鐘をきくと約束して楽しみにしていたとゆうのに。十二月二十八日突然の事故にあい、病院で必死の治療をしていただき、一晩中、家族の声をかぎりの呼びかけもむなしく、一言も声を出さず、目もあけることなく逝ってしまいました。本当に美しい寝顔でした。
 こんなむごいことがあってよいものでしょうか。これからの長い人生、無限の可能性をもち、希望あふれる人生を、夢みていたのに、たった十六才ではかなく終えてしまうなんて、秀ちゃんの無念さ、悔しさを思って絶対に私たちは思いきれない。許せない。
 両親、姉の悲しみを思うとどうしてよいか慰めようもない。
 ただただ一緒に涙を流して悲しんでいるばかりです。
 十六年間の充実した、楽しかった想い出を胸に抱き天国で楽しく毎日を暮していくことを祈っております。
 天気の良い日は秀ちゃんの家の庭にきてリビングの戸をたたき、おじいちゃんの家の松の木に体をやすめ、波静かな諏訪湖で秀ちゃんの大好きなボート「きせき」・「つばさ」を漕いで、楽しんで下さい。
 でも今も秀ちゃんがどうして私たちの周りからいなくなったんだろうと胸がつまるのです。
 事故のあった現場におじいちゃんとお花をあげにいきます。
 大勢のお友達、御近所の方々がお花やお菓子や飲物を供えて下さっています。感謝の気持で一杯です。
 秀輔の大勢の友人の皆さん、お世話になった先生方、これ迄育て導いて下さった皆様に、心から御礼申し上げます。
 小林秀輔という少年が、いたということをお心にとめておいて戴いたらどんなにか供養になることと念じております。
 おじいちゃん、おばあちゃんの心の中には、いつ迄も秀ちゃんがいます。
 秀ちゃん、安らかに眠って下さい。
 又あう日まで
祖母

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