事故後の経過 記事一覧

~ 事故の連絡を受けて ~

事故後、1時間程たって、事故の連絡が入りました。 「秀輔が事故に遭った、すぐに病院へ行くように・・・」 つい今しがた秀輔と別れたばかりなのに、秀輔が事故? 信じられない、何かの間違いではないのか? 大したことなければいいが・・・・ 頭の中ではいろいろ思いが巡りました。 とにかく秀輔のもとへ! 逸る気持ちを抑え病院へと駆けつけました……

~ 病院にて ~

病院には、母親も、秀輔の姉も、祖父母もすでに秀輔の容態を案じながら待っていました。その時はまだ、手や足の骨を折った位で済めばいいな・・・と楽観的に考えていました。いつまで経っても医師からの説明はなく、ひょっとすると大怪我をしているのではないかと思い始めた時でした。医師が出てきて、何度も蘇生を試みましたが、「残念ながらだめです」と突然言われました。予期せぬ言葉で、最初は何のことかわからず呆然とし、事態が分かるにつれ大きな悲しみが襲ってきて、母親や家族共にその場で泣き崩れていまし……

~ 通夜 ~

2008年12月30日 お通夜 下諏訪にある「えこうホール赤砂」で行いました。 1000人を超える方に駆けつけて頂きました。 秀輔の学友、親友、空手仲間、野球仲間、 一昨日まで一日のほとんどを一緒にいたボートの仲間・・・ みんなが一様に苦痛の趣きで泣いてくれました。 花に囲まれて横たわる秀輔・・・ その顔にはわずかに微笑みが浮かんでいました。 事故にあったのに、その顔はとてもきれいで、本当に眠っているかのようです。 何故、どうして秀輔がこんな若さで死ななくてはならないのか・・……

~ 出棺 2008年12月31日 ~

普通の年なら大晦日です。 我家はこの日秀輔を火葬にふしました。 秀輔の姿を見られるのもこれが最後です。 切なくて、悲しくて、それでも出棺の時間は近づきました。 その時です。電話が加害者からかかってきました。 「これから線香をあげに行ってもいいですか?」 加害者は通夜にも顔も出さずにいたのに、何故この悲しい別れの時に! 葬儀の一連のスケジュールを知らないで電話をよこしたのでしょうか? それとも出棺だからとその時間に合わせて電話をよこしたのでしょうか? 悲しみが加害者に対する憎し……

~ お別れの会 2009年1月6日 ~

年があけてすぐ、1月6日、お別れの会を「えこうホール赤砂」で行いました。 16才の若さで逝ってしまった秀輔。 どうしても"告別式"という事が嫌でたまりませんでした。 秀輔の好きだった曲 Greeeeenの「きせき」 こぶくろの「君という名の翼」 大好きな曲を流し、秀輔の笑い顔で会場を飾り、生まれてからの思い出で会場を囲みました。 秀輔が本当にお別れが言いたいのは秀輔が大事にしていた友達や仲間です。 あまりに来て下さった弔問の方々が多いので、メイン会場には、秀輔の関係者に、 親……

~ 四十九日法要 2009年2月15日 ~

早いもので、秀輔が逝ってしまってから、四十九日が経ちました。 秀輔のボートの仲間、クラスメイト、野球や空手の仲間・・・ 秀輔の大好きだった友達を招いて、四十九日の法要をしました。 秀輔の思い出を語り、これから叶えるはずであった夢を語り・・・ 寂しさが一層増しました。 加害者は四十九日だということも知らないのでしょう。 2日前に失礼極まりない手紙をよこしただけで、線香をあげにくるでもなく、 現場に花を手向けることもなく、まるで何事もなかったように、 日々自分の生活をしています。……

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